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日本近代文学会 六月例会

廣津柳浪『今戸心中』論―近代心中物語のカタルシス 朝岡浩史
「秋声史」の再形成――「順子もの」・ゴシップ・批評―― 田代早矢人
本格探偵小説形成期における読者参加―「五階の窓」を中心に― 成田大典
中上健次『日輪の翼』における「仮母」/非「仮母」としての老婆たち――差異・差別へのまなざしをめぐって―― 倉田容子

『子不語の夢』第58回日本推理作家協会賞落選記念大宴会の当日。時間があったので、北海道大学の成田大典さんのご発表を聴きに駒澤大学まで行ってきましたよ。
 いずれ論文にまとめられるのでしょうが、池田浩士によって何となく「自明」と意味づけられてしまった、「読者参加」の文学形式としての「合作」という枠組みを、「五階の窓」を材料に、懸賞の内容に注目することで再検証してゆく展開はなかなか綺麗でした。それでもまだ、「五階の窓」再評価がなされた、という印象を受けないのは、やっぱり作品そのもののパワーがあんまり強くないからでしょうか。一応ちゃんと「探偵小説としての合理性に基づいた」結末がついている、という点では以後のさまざまな合作よりもちゃんとしているかもしれんと思っていますが、理屈が通っている・辻褄が合っているからといって面白いとは限らないのが難しいところ。

 面白いという意味では、物語をリレーさせながら作者本人がそれぞれ登場人物として出演している「吉祥天女の像」や、最終回直前なのにいきなり壮大な事件背景を夢野久作が描き込んでしまい、さて最終回担当の森下雨村はどうするのかと思っていたら、「そういう計画は全て頓挫した」みたいな感じで一気に幕を下ろされて愕然とした「江川蘭子」なんかの方が面白くて、読み甲斐はあるかもしれないと思いますし。

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