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近代デジタルアーカイブより

「近代デジタルアーカイブポータル」を利用して、こんな記事を発見。どちらも国立公文書館に保管されている文書です。

東北帝国大学医学部助教授小酒井光次仏国巴里ニ於ケル疾病及死亡原因ノ名称及統計形式一定ニ関スル万国委員会ヘ委員トシテ参列被仰付ノ件 公文書>*内閣・総理府>太政官・内閣関係>第五類 任免裁可書>任免裁可書・大正九年・任免巻三十三 作成部局 内閣 年月日 大正9年09月13日
東北帝国大学教授小酒井光次休職ノ件 公文書>*内閣・総理府>太政官・内閣関係>第五類 任免裁可書>任免裁可書・大正十一年・任免巻十九 作成部局 内閣 年月日 大正11年05月09日

 東北帝大休職の件はともかく、パリでの会議に参列を命じられていたとは。
「仏国巴里ニ於ケル疾病及死亡原因ノ名称及統計形式一定ニ関スル万国委員会」って、自分が結核で死にかけているのに面倒なことです。大正9年9月といえば不木がフランスを発って帰朝した時期に当たりますので、会議に出たとしたらいつの話なのか。いずれ詳細な年譜を作成するためにも、閲覧してみないといけません。

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