« 小酒井不木の日記から | トップページ | 小酒井不木の航海日記 »

小酒井不木の日記から

 小酒井不木の大学時代の恩師といえば三田定則(法医学・血清学)と永井潜(生理学)ですが、留学時代の恩師といえば Arthur F. Coca(免疫学)です。不木は彼の紹介で Cornell 大学、Academy of medicine で研究に従事する事になります。
 大正7年1月12日の日記に「コーカ氏より手紙来り返事を書く。」とあるのが最初の登場のようですが、同年3月、始めて Coca 氏と面会した時の様子は以下のようなものでした。

Friday. 晴。午前十一時に Orthopaedic Hospital に Dr. Cocaを訪ぬ。実に気持よき Doctor なり。昼食を共にし後 Medical Library に一寸立寄り後 Cornell 大学に行き Loomis の Laboratory に至り Dr. Torvey,Dr. Hatschel,Dr. Ewing,Dr. Bulkley 氏等種々の Doctor 達に紹介せられて大に愉快なりき。(大正7年3月22日)

 その後の Coca 氏との関係については、説明するよりも大正7年の日記をずっと読み進んで頂く方が早いでしょう。そして同年12月、

雨、午前午後 Acad. of Med. に暮らす。午後 Dr.Coca に逢ふ。アナフイラキシーのリテラツールに没頭す。コーカ氏同氏の著述原稿を齎らさる。(大正7年12月13日)

 どうやらこの「著述原稿」を翻訳紹介したのが、南山堂書店から大正10年に刊行された『過敏性』のようです。訳者序には「この書を翻訳したのは一は訳者に対する著者の厚意に酬いたいが為である」という一文もあり、まさに麗しき師弟関係。

 ですが、不木の充実した生活は続きません。翌年、ニューヨークからロンドンに渡った彼は6月に喀血、療養を余儀なくされ研究活動は中断されてしまいます。その後恢復を待ってパリへ渡るのですが、そこで再び喀血。結局何とか帰国する事は出来ましたが、恐らく大正8年~9年の小酒井不木は常に死を意識していたに違いありません。
 その頃、パリで書かれた日記には絶望と希望の狭間で揺れる心理が綿々とつづられる事になります。

(翻刻ライブラリ)
「日記:大正7年12月」 / 「『過敏性』訳者序」

 なお、知りませんでしたが「アトピー性皮膚炎(atopic dermatitis)」の「アトピー」というのは、この Dr. Arthur F. Coca の命名なのだそうです。

(記 2003/5/12)

|

« 小酒井不木の日記から | トップページ | 小酒井不木の航海日記 »

奈落の井戸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/21544/43687685

この記事へのトラックバック一覧です: 小酒井不木の日記から:

« 小酒井不木の日記から | トップページ | 小酒井不木の航海日記 »