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「黒い警鐘」

境千代・作
『日本仁医物語 第6巻 東海篇』 志村有弘編 国書刊行会 昭和59年1月発行

 勉誠出版のミステリーアンソロジーや山田風太郎研究本が話題となっている、今イチ考え方の基準がよくわからないアンソロジスト志村有弘さんによる、医学方面の有名人を地域別に小説仕立てで紹介しようというわけのわからない試み。小酒井不木が紹介されていたので読んでみたのですが……。

 境千代さんという方は生憎存じ上げません。文章や構成からしてプロの小説家ではないと思われ……なんて事は不用意に言うべきではないか。言ってしまいましたけど。
『小酒井不木全集』を中心に、日記、書簡、随筆を丹念に読み込み、コラージュしていった様子がうかがわれます。エピソードの単なる引き写しや文章の引用と いった大雑把な作業でなく、細かい文章を丁寧に組み合わせていった点は素直に評価出来ます。既存の文章のコラージュによって立ち上がる作家像、というコン セプト(に筆者が自覚的であったかどうかは疑問ですが)は私の目指す所と方向性を一にしていますし。
 描かれているのは留学時代から亡くなるその瞬間まで。時々地の文に妙な感じで敬語が使われているのは、小酒井不木の視点で人物描写をしているつもりだからでしょう。文章テクニックが追いついておらず、かなり怪しくなってますが。

 テキストの吟味には相当気を配ったものと思われます。が、書かれてある事実の全部が全部、資料的な裏付けのあるものなのか、すぐには判らない部分もあります。それはさておき、以下のような初歩的な間違いがまずは気になります。

  (誤)久松潜 → (正)永井潜
 (誤)「耽綺社」という戯曲研究会 → (正)「耽綺社」という合作集団

 原因不明な名字の間違いは、文学博士の「久松潜一」と間違えたのでしょう。耽綺社を戯曲研究会だと勘違いしたのは、耽綺社の第一作が戯曲「残されたる一人」だったからでしょう。しかしどちらも資料を丹念に見返せばまず間違わない凡ミス。
 また、こうした名前・内容についての間違い以外にも、どうも小酒井不木という人物を誤解しているとしか思われない記述があります。

彼はこういう犯罪方程式をもっていた。
「殺人=犯人の心-被害者の心」これが私の論理です。
「いかにも医学畑出身の探偵小説家だ」

 この「犯罪方程式」は小説「疑問の黒枠」の登場人物、法医学者小窪介三教授の持論です。言うまでもなくネタです。おまけに突然出てくる「いかにも医学畑出身の探偵小説家だ」って会話文は誰のコメントなんだかさっぱりわからない。

 臨終の様子は今までとうって変わって幻想小説風。アメリカで殺人事件を起こした石田昇の事と思しき「K君」(何でKなんだかわかりません)の面影 と、自分が作り出した小説の登場人物とが目の前に重なって浮かび上がり、停電と共に息を引き取る、という趣向。停電が起こって、息子の望が「たま(電球) が切れた」と叫んだと同時に不木のたま(魂)が天に召された、という話は、小酒井望氏自身が「父不木の思い出」で語っているところです。少年の胸には偶然 では片づけられない思い出深いエピソードとして残ったでしょう。ですが、

真暗闇の中で別れを告げなければならなかった小酒井光次の死は、神のなせるトリックとしか考えられない。彼の書いた、どの作品よりも意表をついている。

 などと書いてしまう伝記作者のセンスはちょっといただけない。

昭和四年四月一日であった。弱冠四十歳で、これだけのブラック・ユーモアを作り出した人はいない。

 という結びの一文がまた意味不明。エイプリル・フールが命日だからブラック・ユーモア、というのではあまりにも何というか。大体どうして不木をブ ラック・ユーモアの第一人者に据えなくてはならんのでしょう。まあ結局「神のなせるトリック」とか「ブラック・ユーモア」という言い回し自体が、探偵小説 作家の小酒井不木に対する先入観に過ぎないです。
 本来この作品のコンセプトとして描かれるべきだった、『闘病術』の著者であり実践者としての“仁医”小酒井不木の姿は残念ながら霞んでしまいました。

 以上、昭和59年に書かれた、一風変わった小酒井不木参考文献のご紹介でした。
(記 2003/8/1)

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