« 自意識と通俗―小酒井不木を軸に― | トップページ | 小酒井不木とカフェにまつわる雑記 »

別に生誕百年だからというわけでもない横溝正史の話

 雑誌『新青年』に関していうと、大正15年末より編集長の森下雨村が引っ込み、代わりに同年博文館に入社した横溝正史がその座につく。

 小酒井不木を中心に考えれば、横溝編集長時代は長篇「疑問の黒枠」と共に始まったといえる。大正15年11月号の後記にある連載予告にはじまり、昭和2年2月号の「編輯だより」では「「疑問の黒枠」の、あのガツチリと四つに組んだ堂々たる書き振りには、何人も敬服せずには居られぬだらう。」と絶賛、4月号では「何しろ本当の意味で言へば、日本で最初の長篇探偵小説であるから当然の事である。」、5月号では「本格探偵小説で、これ程面白く立派な作品は、一寸外国にも見当らない。」とまさに拍手喝采、雨霰である。「日本で最初」の「一寸外国にも見当らない」程の「本格探偵小説」――筆者は寡聞にして、こんなに誉められた小酒井不木作品を他に知らない(笑)。

 編集長が自分の雑誌に掲載する作品を自信満々に誉めるのは、まあ当然のポーズという気もするわけだが、しかしこの横溝編集長の場合、もともと彼は小酒井不木批判の急先鋒であった。

『手術』を読んだ時には沁々と敬服した。『痴人の復讐』を読んだ時にはハゝア又だなと思つた。『難題』を読んだ時にはおやおやと 思つた。『恋愛曲線』ではあゝ又かとうんざりした。『人工心臓』は読む気にもなれない。これは作その物の良否ではなく、作に盛られた世界が、あまり自分と かけ離れてゐる為に誤魔化されてゐるやうな腹立たしさを感ずるのだ。小酒井さんの作品が、研究室を出ない限り、今後如何なる名作が出ようとも私には感心で きないだらう。 (「マイクロフォン」・『新青年』大正15年3月号)

 これが横溝正史の最初の小酒井不木作品評である。作風に対する拒否反応が激しく、身も蓋もないという感じだが、しかし「研究室を出ない」という発 言は、不木作品の特質の一端を見事に言い当てている。(余談だがこれともう一つ、「潤いがない」というのが不木批判の常套句。)

 この頃より少し前、多分大正14年の終わり位の話だと思うが、横溝は乱歩の提案で東京に旅行する途上、名古屋に不木を訪ねている。これが横溝に とっては不木と始めての対面。その折に原稿を『新青年』に送ったばかりだという「恋愛曲線」の筋を話して聞かせてもらった、と横溝の回想にある。(『新青 年』昭和4年6月号)しかし作品が横溝の感性に全然合わなかったのは、前に挙げた感想を見れば明らかで(笑)、それについては残念としかいいようがない。

 ところが世は移り変わる。大正15年の末、横溝は博文館に入社し、本格的に上京。年末に神戸に戻る途中で名古屋に立ち寄った横溝は、今度は編集者 という立場で不木と二回めの会見をする。ここで横溝は翌年から連載が始まる長篇「疑問の黒枠」について、不木と意見交換をした。
 この「疑問の黒枠」に関して、横溝“編集長”がくどい程絶賛しているのは、前に述べた通り。編集長の立場からというだけでなく、なおかつ、今までの小酒 井不木の短篇に見られたような医学的モチーフ、グロテスクな、生理的嫌悪感を催すような描写から離れ、謎の解明、犯人捜しに焦点を当てた長篇探偵小説、と いうスタイルが、今度は横溝の感性に見事にはまったのであろう。不木作品が貶されると大抵フォローするのは江戸川乱歩か国枝史郎なのだが、この「疑問の黒 枠」については、横溝も別の場所で積極的に評価している。それを読むと、横溝の不木作品嫌いが、あくまでも「研究室を出ない」という性質に立脚したもので ある事がわかって面白い。

甲賀。さうなれば僕は「疑問の黒枠」などは面白くない
森下。なぜ。
甲賀。筋だけだから。
巨勢。僕は甲賀君に賛成。
江戸川。横溝君は。
横溝。私は編輯者の立場ぢやなしに好きだね。あれの五回目を貰つた時に自分も筋を変へて書いて見ようかと思つた。余り考へ過ぎてあるので愉快になりました。
大下。僕は最初読んだ時には潤ひがないので面白くなかつた。所が自分で「闇の中の顔」を書いて見て其時にもう一ぺん読み返して見てさうしてすばらしく感心した。
横溝。潤ひがないといふことは仕様がないですからね。
(「霜月座談会」・『探偵趣味』昭和3年1月号)

「潤ひがないといふことは仕様がない」で片づけるとは思い切った意見だが、プロットやトリックを練り上げた上に表現や描写にまで注文をつけようとす る甲賀三郎らに較べ、何というか実に潔い。これは横溝自身の言葉にもあるが、編集者という立場とは関係なく、横溝自身の趣味嗜好の問題だろう。(筆者は 「疑問の黒枠」にあらわれた医学的モチーフも十分「研究室を出ない」域のものだと思うが、横溝にとってはその他の短篇に比して大して気にならなかったの だ、きっと。)

 さて、ここでもう一つ資料を紹介して、この話を終わらせようと思う。横溝が『新青年』編集長になってすぐ、小酒井不木の創作短篇集『恋愛曲線』が 春陽堂から刊行された。当然周囲は皆話題にする。横溝にとっては、この中に収められた傑作の大半は「研究室を出ない」大嫌いな作品ばかりだ。さて、ここで 横溝編集長はどういう対応をしたか? 『新青年』の主要作家が満を持して出した創作集を無視する事は、立場上出来まい。しかし一度は「うんざりだ」と公言 した作品ばかり。横溝正史大ピンチ(笑)。そして『新青年』昭和2年1月増刊号に、横溝正史は筆を執った。

「新青年」昭和2年1月増刊号に掲載された横溝正史の「恋愛曲線を称ふ」は、原稿用紙にすると2枚半程度のごく短い文章である。その結びの部分から引用。

唯私が氏の作品に今一つあきたらなく思ふ点は、どの作品にも、もう少しペーソスがあつて欲しいといふ事だ。あまりに科学者の立場 を守りすぎてゐる事が、氏としては尤もなことだけれど、私としては同感出来ない。しかし一方から言へば、この氏の透徹した冷さが大いに役立つて、どの作品 にも一種の思想と哲学が浸み出てゐる。この事をまだ誰も問題にしなかつたやうだが、私が氏の作品に最も敬服する所以は多くこゝにあると言つてもいい。この 点、他の多くのプロツト・メーカー(かういふ言葉があるかどうか)と大いに撰を異にするところであらう。終りに、どの作品にも充分探偵小説的な面白味を持 つてゐるといふ、分りきつたことを書加へる事が必要であらうか。

 自分の趣味嗜好と合わない、という意見を引っ込める気配がないのは別として、作品に現れた「氏の透徹した冷さ」が生み出す「一種の思想と哲学」を いち早く発見し、評価しているのは自分であると自信満々に言い切っている。これまた“編集長”としてのポーズ、おまけに「実はいいと思ってました」的言い 訳かというとさにあらず、「この事をまだ誰も問題にしなかつたやうだ」という横溝の言葉はほぼ当たっている。
 不木の「科学者」的筆致に関する限り、好意的な評価というものはあっても、その価値を積極的に評価した言説はそれまでなかった。これは意外に思われるか も知れないが、小酒井不木の積極的支持者であった江戸川乱歩、国枝史郎からしてそうである。乱歩なら、例えばこんな感じ。結局自分自身の嗜好の問題の域を 出ていない。

小酒井先生の「恋愛曲線」の前半を講義式で面白くないといふ者がある。僕は正反対だ。あすこが面白いのだ。様々な科学的操作によ つて心臓を体外で生かせる。心臓が何んとやらの溶液の中でコトゝゝと独りで動いてゐる。何といふいゝ味だ。あれが面白くないといふ人の気が知れぬ。又ある 者は嬰児を食ふのが汚いといふ。僕なんか汚いとは思はぬ。ある戦慄を感じる丈けだ。そして、それが作者の狙ひ所だ。あれでちやんと成功した作品だ。小酒井 先生が右の様な批評を気にして、作風を換えられるとか伝聞したが僕としては賛成出来ない。もつとゝゝゝあゝいふ世界を材料にして、我々を怖がらせて貰ひた いと思ふ。たゞ描写が今一段洗練されることは望ましい。といつて僕の描写が先生をしのぐなんていふ意味では決してない。理想を目安にして物を云つてゐるの だ。これ亦誤解する勿れ。
「病中偶感」江戸川乱歩(『探偵趣味』大正15年4月号)

 次に国枝の場合。評価したいという姿勢はわかるが、「面白く」感じる要因はどこかという分析が全く為されていない、どちらかといえば無責任な意見に止まっている。

ところでちつとも不思議でない事には、所謂る実験室的作物の味が、多く加味されてゐればゐる程、氏の作はいつも面白く、その味ひ の薄い時は、面白くない作になつて居ります。然るに氏に対して一二の評者が、実験室から出ろ出ろと、忠告めいたことを云つて居りますが、私としては反対 に、氏よ、もつとゝゝゝ実験室へ、おこもりなさいと云ひ度いのであります。
「探偵文壇鳥瞰」国枝史郎(『新青年』大正15年12月号)

 こうしてみると横溝が改めて作者の「透徹した冷さ」が生み出す「一種の思想と哲学」こそ不木短篇の価値、と評してみせた事が、如何に貴重な意見で あったかがわかる。趣味に合わない作品を誉めなくてはならなくなったが故の苦肉の策だったのかもしれないが、結果、最も不木の本質を言い当て、しかも高く 評価する事になった意見は、この横溝の「恋愛曲線を称ふ」であった。

 だがしかし、読者横溝の本音はどう見ても「あまりに科学者の立場を守りすぎてゐる事が、氏としては尤もなことだけれど、私としては同感出来な い。」という部分に尽きる。横溝が本当の意味で敬意を払った小酒井不木作品は、多分「疑問の黒枠」一作だけだったろう。結局、横溝正史と小酒井不木とは、 例えば江戸川乱歩と小酒井不木、横溝正史と江戸川乱歩の関係がそうであったように、探偵小説における大きな理想に向かう運命共同体的な深い人間関係を築き 上げる事はなかった。

 横溝正史は昭和3年9月号を以て『新青年』編集長の座を退き、後任には延原謙が入る。この昭和3年9月号というのは、小酒井不木の発案で結成され た日本初の合作集団・耽綺社の長篇第一作「飛機睥睨」の最終回が掲載された号でもある。横溝正史の『新青年』編集長時代は、小酒井不木の長篇第一作「疑問 の黒枠」と共に始まり、記念すべき合作長篇第一作「飛機睥睨」の連載終了と共に幕を閉じた。この、作家小酒井不木の文業を考える上で最重要ともいえる二作 品を世に出す事に協力し、そして『恋愛曲線』を通して支持者ですら表現しきれなかった小酒井不木の本質を見事言い切ってくれた横溝正史…… しかし不木と横溝は互いに手を取り合って同じ道を歩んで行ったわけではない。ここが面白いところだ。

 横溝正史生誕百年を記念して書いたわけではなく、あくまでも小酒井不木と横溝正史との関係を簡単にまとめたかっただけなのだが、それでもこの駄文が生誕百年に多少なりとも華を添えるものになってくれていたら嬉しい。
(記 2002/5/30~6/6)

|

« 自意識と通俗―小酒井不木を軸に― | トップページ | 小酒井不木とカフェにまつわる雑記 »

奈落の井戸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/21544/43726917

この記事へのトラックバック一覧です: 別に生誕百年だからというわけでもない横溝正史の話:

« 自意識と通俗―小酒井不木を軸に― | トップページ | 小酒井不木とカフェにまつわる雑記 »