« 新吉、電波に乗る | トップページ | 大倉燁子サバ読み伝説 »

『文学時代』と小酒井不木の生と死

 新潮社の文芸雑誌『文章倶楽部』は昭和4年4月号を以て廃刊、その後身として創刊されたのが『文学時代』である。そして『文学時代』創刊号が世に出た時、既に小酒井不木はこの世にいなかった。
 従って『文章倶楽部』時代からの寄稿者であった不木だが、『文学時代』に遺した足跡といえば、小説一篇と、アンケート回答一つしかない。

 短篇「鼻に基く殺人」は、殺人淫楽者の犯罪日誌を彼の姉が偶然目撃してしまう、という設定の物語。彼女の弟は親しくもない他人の鼻の形が気になるという理由で殺人をおかしたくなる殺人狂。彼の正体を知り、次に自分の生命がおびやかされそうになっているのを知った時、姉の由紀子は……。
 呼吸器の病気で死にかけ、ようやく恢復の兆しを見せてきた愛犬と共に暮らす由紀子。彼女もまた、一度肺を病んでいる。この一人と一頭はそれぞれに細く幽かな生命の糸をしっかりと握りしめて生きようとしている。彼らに、死を目前にした作家・小酒井不木の無意識の抗い、かすかな希望の有り様を投影して読んでしまうのは、後世の読者の単なる深読み、センチメンタリズムだろうか。

 そしてアンケートの方はよりにもよって「私の十年前の回顧 十年後の予想」が題目である。昭和四年、臥せりがちで床についている日が多くなっていた筈のこの時期、この依頼を不木はどんな気持ちで受けたのだろうか。
 不木は自分の十年後について、こう書いた。

十年後にはきつと生物学専門の人間になつて居やしないかと思ひます。その時分でも探偵小説をよむことだけは相変らず好きだらうと思ひますが。

 自分の「十年後」は本当に存在するのか……この文章を書いていた時の不木の心中を推測すると、実に切ない気持ちになる。

 死の淵から逃れ得て生を掴もうとしている人間が登場する小説と、十年後の未来を語るアンケートと、そして訃報記事が一度に掲載された『文学時代』創刊号。それは作家・小酒井不木の生と死のモニュメントだった。

「鼻に基く殺人」
(記 2001/9/4)

|

« 新吉、電波に乗る | トップページ | 大倉燁子サバ読み伝説 »

奈落の井戸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/21544/43685923

この記事へのトラックバック一覧です: 『文学時代』と小酒井不木の生と死:

« 新吉、電波に乗る | トップページ | 大倉燁子サバ読み伝説 »