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思い出の七十年

思い出の七十年 原田三夫
昭和41年3月25日 第1版第1刷発行 定価650円
誠文堂新光社 東京都千代田区神田錦町1-5

『科学画報』『子供の科学』など、戦前の科学雑誌で少年達の心を熱くさせた原田三夫の半生記。いや半生記と呼ぶには七十年はちょっと長過ぎるか。その内五十年分くらいは女絡みの思い出だったりして、違う意味で熱いものを感じさせてくれます。
『子供の科学』に小酒井不木が筆を執り「少年科学探偵」シリーズを連載したのは、この原田からの依頼によるものですが、原田三夫は不木の幼なじみでした。

私の祖母の郷里は名古屋の西の蟹江に近い大海用(おおみよ)という農村で、私は尋常小学時代、暑休みによくそこへ遊びにいった。推理小説の先駆者小酒井不木の郷里は、この村と大川を隔てた村で、かれの家は資産家で農家ではなかった。私はそこをも一、二度訪れて、小酒井と庭で線香花火を遊んだ。かれの父は縁側で酒をのんでいた。小酒井の本名は光次で、私と同様「みっつあ」とよばれたが、かれと私が大学に進んだとき、これらの村では、どちらの「みっつあ」が偉くなるだろうかとうわさをした。

 まあどちらも、世間一般の基準からしたら偉くなった方だろうと思います。

 不木の親父さんの事を「資産家で農家ではなかった」と書いていますが、不木は自伝の中で父親について「父は田舎の小地主で、自分も農業に従事し、 かたがた役場に勤めて居たらしかつた」と言っています。まあ端から見れば「資産家」で農業が趣味のおじさんだったという事なのかもしれません。

 幼なじみであった原田の「みっつあ」と小酒井の「みっつあ」は、ともに名門・愛知一中に入学して、そこでも同級生となりました。

かれは中学で私と同組でも、秀才を鼻にかけたようで親しめなかったが、名古屋に住み、私の依頼で「科学画報」や「子供の科学」に執筆するようになってからは、生れ変ったように親しくしてくれた。

 中学時代の不木はなかなかイヤな感じのヤツだったようです。
 成人してからの変貌を、病気のせいでエリートコースから転落してしまった才能溢れる人間が切り拓いた新境地ととるべきか、年経て自然と身についた処世術・社交性ととるべきか、判断は難しいところでしょう。私は前者をとりますが、全く違う解釈も勿論可能だと思います。

当時アメリカでラジオ・ニュースという雑誌を発行していたゲルンスバックが、そのほかにアメージング・ストーリーというSF雑誌 とサイエンス・アンド・インヴェンションという通俗科学雑誌を出していて、私は皆取っていたが、アメージング・ストーリーを全部小酒井に送ってやった。か れはそれからも取材したかもしれない。

『AMAZING STORIES』を原田が不木に読ませた、というのは話として聞いていましたが、ソースとなる文章はこれでしたか。ヒューゴー・ガーンズバックと小酒井不 木との類似性・相異点に言及されていたのは、古典SF研究家・長山靖生さんです(『近代日本の紋章学』青弓社・1992年)。長山さんは原田&不木による 日本初のSF専門雑誌発行計画(頓挫)にも言及されておられますので、こちらのソースについてもまだまだ調査を進めなくてはいけません。

「小酒井不木資料館」に登録した古書目録、不木旧蔵書の中にも『AMAZING STORIES』が2冊あります。これこそ原田三夫が送ったという、件の「アメージング・ストーリー」なのかもしれません。

(参考)「自伝」「小酒井不木資料館」

(記 2003/7/8~9)

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