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糞便と探偵小説

「探偵小説の題材」 初出:『ワールド』昭和2年9月号

 チフスと検便の話が探偵小説の材料にぴったり、という小酒井不木のセンスに肯くか、それとも笑うかは読者それぞれの判断にお任せします。私は笑いました。

 昔、探偵小説論をまとめようとして断念し、以来ジャンル論と正面きって向かい合った事はありません。必要に迫られた事もないですし、ジャンル規定によって作品理解が深まる事はない、という信念もありますし。ですが、探偵小説作家各人が「探偵小説」について語った文章を読むのは非常に面白いです。それはジャンルの問題としてではなく、作家自身の作品イメージ・創作スタンスを探る目的で読むからに他なりません。

 便の話つながりで思い出したのですが(笑)、小酒井不木の創作「呪はれの家」では、警察による便所の捜索が重大な手がかりの発見に大きく貢献します。不木は何も便所の描写がしたくて便所を出した訳ではなく、地道且つ人の嫌がる捜査を敢えて行う警察の苦心と、そこで発見された手がかりの科学的分析から導き出される証拠、という、いわば近代的な犯罪捜査のプロセスの一環として、便所の捜索を行わせているのです。が、このアプローチは一部の読者から反発を受けました。

 春田能為(甲賀三郎)は、「之は要するに趣味の問題であつて、孰れを是とするかは人々の好みによる事である」とした上で、この便所掃除について次のように苦言を呈しています。

之はむしろ作者の得意とする所かも知れない。何故なら最後に霧原氏に便所掃除の効果を力説せしめてゐるからである。私は事実上の犯罪捜索に於ては、便所の掃除、便糞の検査等が非常に有効なものである事は否まない。犯罪学者たる氏が探偵小説家がかゝる事を閑却してゐる点を不満として居られるかも知れない。然し、私には悪阻だとか、その為の嘔吐物だとか、糞壺の中から拾つた紙だとか云ふのは不愉快である。犯罪実話なら止むを得ない。然し私は小説にはつとめて避けたいと思ふ。殊に一般的に探偵なる職業に偏見を持て、稍もすると、卑怯なる或は不愉快なる方法で、人の秘密を扞くものと見られ勝ちで、従つて探偵小説も下品なるものと見られ勝ちであるから、一層さう考へるのである。小説は事実である必要は少しもない。只事実らしくあれば好いのである。
「『呪はれの家』を読んで」(「新青年」大正14年6月号)

 春田の言う「小説」殊に「探偵小説」とは、スマートな論理性に則った知的遊戯の文学、というイメージに立脚しているように思われます。そこに卑しい、汚いイメージが伴うのを生理的に受け付けない、というのでしょう。これは理屈として正しいとか間違っているとかいう問題は別にして、作家・甲賀三郎のスタイルを考える上で見逃してはならない証言です。

 不木が便所の捜索を扱った意図を、春田は「事実上の犯罪捜索に於ては、便所の掃除、便糞の検査等が非常に有効なものである」から、「犯罪学者たる氏が」殊更に描いたのではないかと推測しています。一種のリアリズムと見なしているといってよいでしょう。しかし、果たしてそれだけでしょうか。
 繰り返しますが不木の書きたかったのは「便所掃除」の有効性ではなく、犯罪捜査に含まれるそうした地道な作業と、そこから得られる手がかりの科学的分析の有効性です。それは科学の発達と共に有効となった、近代警察制度――そして、それに則る形で〈謎―論理―解決〉という構造が有効性を持った「探偵小説」のスタイルに素直に従っている、という事でもあります。素直過ぎるきらいは勿論ありますが。
 春田の分析は生理的な嫌悪感に引きずられるあまり、「呪はれの家」が探偵小説として、当然のものとして描いたこの場面の意味づけをさっさと放棄しているように思われてなりません。そこから先は読者の感覚の問題ですからどうでもいいですが、便所の捜査についての描写を単なる事実主義と見なすのは間違いです し、「小説は事実である必要は少しもない。只事実らしくあれば好いのである。」という批判に到ってはお門違いと言うほかありません。スマートでもなく、美しくもないけれど、「呪はれの家」(における便所の捜査の描写)が、近代探偵小説の一つの作法に則っている事は間違いないのですから。

(参考)「『呪はれの家』を読んで」春田能為(『新青年』大正14年6月号)
(記 2003/2/10)

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