横溝正史探偵小説選1

 二松学舎大学所蔵の未発表原稿「霧の夜の出来事」が巻頭を飾る、戦前の単行本未収録短編を中心にまとめられた作品集。探偵小説「選」てタイトルですが、実質的には選集じゃなくて拾遺集ですな。これだけの国民的人気作家にして、まだ何巻分もの単行本未収録作品が残っているのがすげえよな、と思いましたが、編集者時代にページを埋めるために〆切に追われてさっさと書いたらしき小説とか、漏れて然るべき、というのも多々混じってます。

「再評価」って、いいところを見つけるのは当然ですが、こんなつまらんもんまで書いてたか、というのを把握して作家理解を深めるのも十分「再評価」ですから、その意味でこういう本は出せるうちにどんどん出したらよろしい。

 私が一番興味を引かれたテキストは、横溝が小酒井不木の「恋愛曲線」について、有島生馬の小説「片方の心」との内容の相似を問題にしている「いろいろ」(『探偵趣味』大正15年5月号)。他に誰もしていないユニークな指摘で面白い上、有島生馬なんかを読んでいるということはつまり、この時代のミステリ書きはただのミステリヲタではなくいっぱしの文学青年なんである、という当たり前の認識を再確認させられるという意味で。

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浜尾四郎探偵小説選

 作品を眺めてもあんまり珍しい感じがしないのは、「富士妙子の死」翻刻経験者の自惚れであり、桃源社版の全集だってまだいくらでも手に入るじゃん、などという歪んだ現実認識を持っているからでしょうか(笑)。とはいえ本集の刊行に意義がないと考えているわけではありません。だって浜尾の短篇はいつどれを読んでも面白いし。

 収められている短篇それぞれに何かつながりはあるのだろうか、と気になって、手がかりを求めて横井司さんの解説を読んでみたら次のような文章にぶつかりました。

浜尾作品と理知派・新現実主義に分類される作家との親近性は高い。浜尾作品の特徴として、性的魅力を備えた女性に翻弄される男性、あるいは妻の不倫に悩まされる夫、といった図式の作品が多いことも、大正文学との親近性と無縁ではないように思われる。(中略) 日本探偵小説史においては、大正文学における怪奇幻想的作風の耽美派(代表的作家としては谷崎潤一郎・佐藤春夫)の影響ということは、よくいわれるところだが、そうした流れとは違う文学的底流というものがあったことも、忘れるわけにはいかないだろう。

 浜尾四郎の小説の面白さとはズバリ、同時代の社会状況や文化に対するダイレクトかつ先鋭的な反応だと思います。浜尾作品については、現代の読者の視点から論理性だとか法律への懐疑といった部分を評価するような意見を目にする事が多いですが、それも結局浜尾の観察眼が現代にも通じる物事の本質というヤツをしっかりと捉えて表現している、という事の結果でしょう。
 本集には収められていませんが、「彼は誰を殺したか」や「死者の権利」に出てくる自動車犯罪などは、法律に詳しい人がその知識を盛り込んだフィクションだから面白いのではなく、現代犯罪に対して浜尾四郎個人が感じているリアルな恐怖心が生んだ文章だから面白い。また、近代麻雀が小説に登場した最初期の作品であるというだけでなく、牌の打ち方・勝負の展開で男女の裏側にある感情を描き出した小説であるという点でまさにエポックである「彼が殺したか」の麻雀シーンなどは時代風俗の描写として面白いだけでなく、日本麻雀連盟の顧問にして段位六段の腕前を持つ雀士の眼力が生み出す「心理を読む競技としての麻雀」描写だから面白い。その他色々、浜尾四郎の小説を読みながら味わう同時代の空気――温故知新の面白さは格別。
 そんな私が同時代文化の影響力――大正文学との親近性、という観点で浜尾四郎の作品を評価した横井さんに対して同意を叫んだとしても不思議はありますまい。浜尾四郎の文学とは、時代を、その鋭敏過ぎるアンテナでキャッチして映し出す、神経衰弱者の「恐怖」のビジョンなのです。
 本集のセレクトについても、浜尾の小説の「大正文学」度、という観点だと「富士妙子の死」などは結構ズレている気がしてくるのですが、文学に止まらぬ同時代のニュースへの鋭敏な反応、という見方でこれを捉えるなら、まさに当時大問題であった堕胎へのダイレクトな反応として読めてくるわけですな。
(記 2004/6/29)

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松本泰探偵小説選2

 第1巻以上に気が抜けた……いやいや自然体という感が強くなった気がする松本泰の著作集第二弾。探偵小説の作者というものを、選りすぐりのパズルをいくつもいくつも製産するメーカーや、あの手この手を駆使したサプライズで読者を喜ばせてくれるエンターテイナーだと考えているような読者にとっては恐らく松本泰の作品群は「不良品」以外の何物でもないでしょうな。まあ作者自身のスタンスが下記のようなものですから仕方ないのです。見よ、この肩の力の抜けっぷり。

私の好尚からいえば、何々小説と銘をうつことや、何々主義というようなものを標榜せずに、ただ単なる物語として読者にまみえたいと思う。宗教や、恋愛を取材としたものが、宗教小説ないしは恋愛小説であるという論理が成立するならば、犯罪、もしくは秘密を取り扱ったものは探偵小説あるいは秘密小説という範疇(カテゴリー)に当てはめられるかもしれない。私の書こうとするのはこの種の物語である。 (「『三つの指紋』はしがき」)

 ミステリというジャンルの変容があまりにもせわしない昨今の風潮についていけなくなった方、ジャンルの規定なんか「めんどくせ」という方には心強い一言です。まあ、この思想に共鳴したところで面白くなかった松本泰の小説が面白くなるわけではないのですが(笑)。

 本集の中で私的に最高傑作だな、と思ったのは「嗣子」。結末がおめでた過ぎます。他には「清風荘事件」「毒杯を繞る人々」なんかも普通に面白いです。あと、エッセイ集には非常に興味深いものがいくつも収録されていますので、読まないで飛ばしちゃうと勿体ないですよ。

小説なんていうものは、どこの頁を開けて読んでも興味のあるものだ――というようなことを、ずっと昔、鈴木三重吉氏が何かの雑誌でいっていた。 初夏の日永の退屈に、書棚の前へいって、読み古した蔵書の中から、手当たり次第に一冊を抜き取り、頁をばらばらはぐって、取っつきいい新しい行に目を注ぐと、殺人事件のあった某家の現場で、探偵が女中と話をしている場面があったり、霧の深い晩に、相愛の若い二人が、十分後に来る突然の死を知らないで、長い橋を渡りながら、限りない愛を語り合っているような場面にぶつかったりする。 小説の筋はどうあってもいい、さうした一情景から、前と後に引き伸ばされる想像が私を喜ばせる。大きな凭れ椅子に埋まって、重い書物を支へている私は、ばたりとそれを床に落としたまま、眠ってしまうことがある。時には小説の筋がそのまま夢に入ってくる。 (「初夏の一頁」)

 エッセイの中では、この一節が結構気に入りました。松本泰の小説を楽しむ最良の方法はきっとこれだ。が、よく考えればこれは一種の“読者への挑戦”なのかもしれません。面白くない? それはオマエが想像力でちゃんと補ってないからだろフフン、もっと頑張れよ、みたいな。
(記 2004/6/18)

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松本泰探偵小説選1

 資料性という点では絶大な評価を受けながら、こと作品内容という事になると「読んだ」というコメントすらあまり聞かれない論創ミステリ叢書。その中でもこの松本泰集、内容的な評判がひときわ芳しくない部類に入っているようで、少なくとも平林集、甲賀集の時には見られなかったくらい悲惨な評価をウェブ上で拝見した事があります。

 確かに「蝙蝠傘」などを読むと「これでいいのか!?」という感じがしますが。

 内容的な不満で一番大きな所は、読者が期待する「ミステリ」としての構成、「ミステリ」としての演出を作者・松本泰が殆ど無視、あるいは軽視している風に見える、という点でしょうか。横井司さんは解題の中で松本泰の作品世界について、以下のように解説しています。

 松本泰の作品は題材に焦点が当てられるといえるかもしれない。面白い題材、謎に対したときの好奇心の働きをそのまま紙の上に表すのが、探偵小説テクストにおける書き手の態度なのだ。そうした一種の傍観者流ともいうべき視線あるいは気分が、独特の雰囲気を醸成している。それは、いささか作家論的になるが、海外遊学体験や悠々自適なように感じられる生活態度が、書き手にそのような視線をもたらしたのではないだろうか。

 印象論ですが、松本泰の作品では大体において、事件(謎)の解明に向かおうという意志が非常に弱いように思われます。確かに事件は起こり、登場人物は謎に巻き込まれるのですが、謎は解かれる前に解けてしまい、事件は解決後の説明として処理されてしまう。「謎」も「事件」も適当にあしらって、では松本泰の作品には何が書かれているのかというと、それがつまり「探偵趣味」という便利な言葉で表されるヤツだろう、というのが横井さんの見解。

戦前のプロパー作家のほとんどがどちらかの〈派〉に分類されるのに対して、松本泰はいずれでもない独特のスタンスに立っていたのである。そのスタンスとは、秘密を楽しむ姿勢とでもいおうか。そうした誰もが持つ好奇心のようなものを、それはメディアを通して他人の不幸を楽しむ大衆の病理ともいえるかもしれないが、そうした微妙な気分・感情そのものを言語化するような、それこそ探偵趣味とでもいえそうなスタンスである。

 どちらかの〈派〉とは、いわゆる〈本格派〉と〈変格派〉の事。〈本格派〉と〈変格派〉のどちらにも与しないスタンスという松本泰の位置づけは既に江戸川乱歩が松本泰を「情操派」に分類した際に指摘していた事とはいえ、「探偵趣味」というまさに時代の言葉を当てはめたのは横井さん。しかし今の「ミステリ」読者の嗜好は昔以上に〈本格〉か〈変格〉か(そうでなければ「萌え」か「脱格」か)の方向に極端に振れているような気がしますので、そのどちらにも与しない作風が受け入れられないのも確かに仕方ない……。

 結局作者が目指したところは何なのか、それが読者の要求するところと噛み合うのか、というような根本的な部分で、商品の性質もマーケットの相性の問題も不明瞭にしたまま、21世紀の「ミステリ」読者よこんにちは、と麗々しく登場してしまったのは、松本泰にとってタイミング的にかなり不幸だったのではないかと思う次第。資料的価値云々も、「でもつまらない」という言葉の前には何のフォローにもなりませぬ。
 とはいえ戦後初めて2巻本としてまとまって読めるようになった事で、「ミステリ」ジャンルべったりの読者でない方面からの支持を得る機会が作られたとも言えます。しかしそうなると「探偵小説選」というタイトルが邪魔をしそうでこれまた不幸な感じ。

 しかし「最後の日」「ガラスの橋」「不思議な盗難」などは割と面白いです。特に「不思議な盗難」は、小酒井不木のナンセンス物と殆ど同じテイスト。不木といい泰といい、こういうのを英国仕込みというんかなあ、と思ったりして。
(記 2004/3/22)

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甲賀三郎探偵小説選

 先に出た『平林初之輔探偵小説選2』同様、小説と随筆を集めたスタイル。小説の方はやや長めの「電話を掛ける女」と、「原稿料の袋」「鍵なくして開くべし」「囁く壁」「真夜中の円タク」という土井江南シリーズのカップリング。随筆の方はいわゆる探偵小説論を主眼にまとめたといえるでしょう。

 ピュアな十代の頃、中島河太郎史観に感化された人間としては、甲賀三郎といえば理化学トリックであり、代表作といえば『支倉事件』でした。理化学トリックと『支倉事件』はよく考えると全然結びつかない事例ですが、暗記教育の弊害というヤツでしょうか、不自然に思ってませんでしたな。さらにトリックの具体的な例なんて実は一つも思い浮かばなかったりしますからひどいものです。
 これは中島河太郎による紹介の仕方が悪いのではなく、容易に手にする事の出来る甲賀三郎のテキストがあまりに少なかったのが何よりの原因だったように思います。その当時に比べたら春陽堂の復刻版とか国書刊行会の『緑色の犯罪』とか本集とか、いい時代になりました。古本買ったり図書館で雑誌を漁ったりする事も覚えて、個人的にもちょっとは経験が身につきましたし。

 そんな目で改めて甲賀作品を読んでみると……「原稿料の袋」以外は初読でしたが、取り立てて誉めるところがないなあ。簡単に印象を述べるなら、良い意味でも悪い意味でも軽い、という感じ。収録作品の中では物語のスマートさという点で「鍵なくして開くべし」が一番好きです。あとは実事件の解釈をベースとした「真夜中の円タク」はちょっと異色だと思いますが、それを除くとどれをとってもドタバタものの印象しかない――よく言えばプロット中心の活劇的な物語展開という事になりますが、行き当たりバッタリの帳尻併せと言ってもさほど違いはないような。どちらにせよ、〈本格〉と特筆するでもなく〈変格〉というでもない、いわゆる普通の戦前探偵小説だ、という事になるのではないでしょうか。
 随筆の方は想像以上に歯ごたえがあって、ちょっと感想というわけにいかないのですが、例えば「探偵小説が多くの人によって作家よりも作品本意で読まれるということは、つまり探偵小説がまだまだ筋本位で読まれるためで」(「印象に残る作家作品」)なんて指摘は、わかりきった事を言っているようでいてあまり深く突っ込んで考えられた事のなかった視点で興味を惹かれます。
(記 2004/1/6)

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平林初之輔探偵小説選2

 論創ミステリ叢書第二弾。小説だけでなく探偵小説エッセイも網羅するのじゃ! というわけでちまちましたアンケートや「マイクロフォン」投稿までちゃんと拾っている意気込みがステキ。

 皆さんは既にご存知だったのだろうと思いますが、収録作品の中では「夏の夜の冒険」が衝撃的でした。間違いなく平林初之輔の探偵小説ではナンバーワン。私の中でこの評価は今後恐らく揺らぐまいと思います。この作品の説得力はすごかった。
 説得力――リアリティ、と言い換えてもよいのですが、そうすると「実話」とか「真実」とかいう意味合いが強調され過ぎるかもしれません。特に「夏の夜の冒険」は実話仕立ての小説で、所謂「本格ミステリ」のスタイルではなく、実話風に事件を描き、その背景に何があったかを暗示して終わる式のごく短い小説ですし。でもそれはちょっと違うかな。そういう方面の力というよりも、物語としての存在感、という意味でこれは相当なものだと思いました。夕暮れの街、腹を空かせた子供、子供の両親、数年後に知った死亡事件――それだけの話ですが、それはもう。「予審調書」なんか比較になりません、ホントに。
(記 2003/12/1)

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平林初之輔探偵小説選1

 平林初之輔の探偵小説作品を(唯一の長篇作品を除き)とりあえず網羅して二冊、などという、ミセレニアス・コレクションもびっくりの趣味に走り過ぎた企画。論創社は探偵小説復興に社運を賭ける気か。俺の墓標に名は要らぬ、死すならば戦いの荒野で。新世紀探偵叢書伝説。いや、名(本)はしっかりと残るけど。

 私はこの無謀な出版計画を全面的に応援したいので、この際次にどんな作家のどんな作品集が出ようが躊躇なく買い続けるつもりなわけですが、そんな気はないけど面白そうだから買ったよ、と今回の平林初之輔集を購入された方っていらっしゃるのでしょうか?
 私なんか特にそうですが、こういう種類の本の場合、作品が面白そうだから気に留まったとか、この作家は前から好きだとかいう理由で買うわけではありません。結局、自分の大好きな「探偵小説」というのが何のことなのかよくわからないので、「探偵小説」が一世を風靡していた時代のそれらしい作家・作品を網羅してみて、自分の好きなジャンルである「探偵小説」を自分なりに理解したくて読んでいるようなもの。数読めば解るというものでもなく、自分の事ながら何ともまだるこしい話で。

 それにしても戦前日本探偵小説界のオピニオンリーダーの一人、平林の探偵小説が気軽にまとめて読めるようになったというのは素直に嬉しいところ。アンソロジー等未収録の作品は大抵初めて読むのですが、それらもなかなか面白かった。収録作品では「犠牲者」「秘密」「人造人間」「オパール色の手紙」「或る探訪記者の話」が私的ベスト5ってところでしょうか。「動物園の一夜」と「華やかな罪過」も悪くないです。
 ただ、帯にあるような「科学と論理で謎を解く本格派探偵小説」ではないですな。謎の提示と解決のプロセス以上に、アイディアとプロットに重点を置いた、善くも悪くも戦前の短篇探偵小説の大勢を占めるスタイルそのまま。社会主義者で評論家だからって、プロとブルの思想的対立とか、社会変革意識を持った小説とかいうスタイルを期待していたわけでは勿論ないですが、ここまで「普通」、というのは実は結構意外でした。主義主張よりも物語性がきちんと確立された、これはこれで読者に対して非常に良心的な作品。こちらの想像の埒外を行くような破天荒な面白さや意外性はないですが、それもまた「ちゃんとした人」である平林初之輔らしいといえばその通りでありましょう。
 本が出ると作家研究が進む、というのは大学生の頃よく聞いた話。当然今でもそういう風潮はあろうかと思います。雨後の竹の子の如く出でよ、平林研究家。
(記 2003/10/30)

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甦る推理雑誌5 「密室」傑作選

 目玉は天城一の「圷家殺人事件」ですか。
 本作の改稿版『風の時/狼の時』は1990年に自費出版で刊行され、『圷家殺人事件』の方は昨年『別冊シャレード』(甲影会)の1冊として刊行されましたが、ついに文庫で読む事が出来るようになりました。このセレクトはインパクト大。といいますか、前者2冊とも持っているのに読んでませんでしたから、今回こそちゃんと読みたいと思います。
 で、作品の感想よりも先に、河出書房新社の本格ミステリコレクションにどうして天城一が入っていなかったか、という話題が改めて思い起こされました。
 編者の日下三蔵さんが公然と主張しているわけでは勿論ないですが、『別冊シャレード 天城一特集』と読者が重複する事を避けての判断と推測する事は出来ます。内容の重複が避けられない上に購買層が重なるのでは厳しい、という編集者としての判断でもあり、“全集化”してゆく『別冊シャレード 天城一特集』に期待しているというファンとしての判断でもあったか、というのはまあ私の勝手な思いこみですが。そして今回、光文社文庫の方は、天城一の作品は(同人誌の存在とは関わりなく)「売り」になる、あるいは載せるべき、と判断したのでしょう。

 私は今回の山前譲さん(「ミステリー文学資料館」さんというべきか)の選択も、日下三蔵さんが天城一集を出さなかったという選択も「あり」だと思いますし、どちらにも賛同出来ます。

 それにしても、これだけパワーのある小説がいくつも掲載された同人誌がかつてあった、というのはやはり驚きに堪えません。そしてもっと驚くのは彼らが「過去」の作家ではない事で。「鬼」の一人である鮎川哲也は昨年文字通り鬼籍に入ってしまいましたが「白樺荘事件」を執筆していましたし、山沢晴雄は今でも書き下ろしの長編を発表し続け、天城一は前記『別冊シャレード』でその業績が改めて世に出ています。そうした“現役”の作家をはじめ、戦後の探偵小説愛好者のエネルギーが凝縮された雑誌「密室」こそ恐るべし。その情熱の有り様を率直に描いた竹下前会長の「苦の愉悦」を巻頭に収めたのはにくい演出だと思います。
(記 2003/3/12)

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甦る推理雑誌4 「妖奇」傑作選

 長篇「生首殺人事件」完全収録で、実は尾久木弾歩の新刊だ、と人気爆発の『「妖奇」傑作選』です。その「生首殺人事件」、なんで本文の1ページめと2ページめの間に人物表が挟まっているのでしょう? 冒頭から読みづらいんですが。ただの組み間違い?

 私立探偵・江良利久一は妻と共に富豪の菊岡宅に招かれる。そこで彼らを待ち受けていたのは、血も凍る連続殺人事件だった……。
 次から次へと死体また死体。第一から第三の殺人――密室首切り三連発が常識破りのハイスピードで繰り出されます。もっとも犯人が捕まるのも比較的早いですが。
 尾久木弾歩なんて今まで真面目に読んでませんでしたが、随分良心的です。「名探偵」「密室」「首無し死体」といった探偵小説お馴染みのガジェットを無雑作に並べたてるのではなく、ちゃんと探偵小説として機能させようと考えて書いている点で好感が持てる。本格ミステリとしてはよくあるストーリー展開ですが、逆にその場しのぎのエログロやつじつま合わせに逃げないで真面目に書いた分、「今読んでもそれなりに読める」作品になってます。

 ただ、名作にはなり得ない、小説としては随分ヘタクソな部類の作品だと思います。冒頭でクイーンの『災厄の町』を引き合いに出して、登場人物に「大袈裟な仕掛けの手品を見る様なトリック万能的な作品には魅力を感じなくなって、大魔術師の小手先にも例うべき作家のペンの先から生れて来る、小味な、それでいて種を明かせばギョッとさせられる様な欺瞞に、探偵小説の醍醐味を覚える様になったのだ。」などと言わせる場面がありますが、この物語自体がそうした醍醐味とは殆ど縁のない作品。本格ミステリとしての構成・理屈づけにこそ細かく気を配っていますが、人物の性格付けや隠された動機の描き方は全くとってつけたような気の利かないものばかりで、殊に結末の一文など失笑を禁じ得ないものです。そういう動機があるのなら(手法として隠しておくのは構いませんが)、あるように登場人物を描いておいてもらわなくては。眼高手低。
(記 2003/1/20)

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岡田鯱彦「天の邪鬼」

初出:『日本ユーモア』昭和24年4月号。

 河出文庫の『本格ミステリコレクション 岡田鯱彦名作選』の解説で日下三蔵氏もちょっとだけ触れている作品。「妖鬼の呪言」(『別冊宝石』昭和24年5月号)に先立って活字になっているので多分これがホントのデビュー作。が、現在まであまり解説等でも触れられる事がなかったのは、探偵小説作家・岡田鯱彦のキャリアからすると規格外にあたる、いわゆる普通小説だからだろう。本作は『日本ユーモア』に懸賞小説として応募され、次席当選した作品である。

 教員の俊介は六畳一間に妻と六人の子供を抱える貧乏暮らし。次代を担う子供を育てる聖職と、理想に燃えて教鞭を揮っていても、現実主義・刹那主義の無気力な同僚達とのやりとりは彼を消耗させるばかり。子煩悩な性格とはいえ、毎日の生活の事ばかり悶々と考えていると時に最愛の子供達に当たり散らす事も。俊介は自問自答する。雑誌も、菓子も、新しい服も買ってもらえず、父親に怒鳴られてばかりいる子供達は幸福だろうか……。ある日の夕方、俊介一家は新宿の夜店に出かけた。子供達は勿論、ここ何年も夫と外出する機会がなかった妻も喜んでついて来る。しかし現実は厳しい。俊介の懐には百円しかなく、どこかで休んで茶を飲む事も出来ない。そんな折、一家は露店の競馬屋をのぞいた。玩具の馬を走らせ、一着を当てると賭けた札が三倍になるというものだ。俊介は家族一人一人に札を買ってやり、競馬で遊ぶ事にした。当たり、外れと何度かスリルを楽しむ内、長女の富士子が一着を取る回数が非常に多い事に気がついた。そこで富士子の張る馬に自分達も張ってみると、当たる当たる……忽ち札は一万円分になった。一万円といえば俊介の月給のふた月分である。頭の中で教育者の俊介が「教育的でない」「浅ましい」と呟き、彼は一刻も早く負ける事を祈る。しかし富士子の予想は外れない。三万円、九万円……次が当たったら二十七万円。競馬屋の親爺はもう一度当たったら有り金の三十万を渡すからそれで止めにしてくれ、と俊介に頼み込む。今や興奮しているのは子供達や野次馬達だけではない、俊介も妻も異様な狂熱に取り憑かれ、富士子の最後の予想を待った。そして遂に――。

 こういう話が他にないとは言わない。しかしたまらない緊張感と溢れる哀感は素晴らしいの一言。「妖鬼の呪言」と比べても本作の方が余程面白いと思って、下手な梗概で長々と紹介した次第。単行本に収録される事もなかろうし、雑誌もそうそう見かけるたぐいのものではないが、探偵小説でなきゃ意味なし、というような読者は別として、岡田鯱彦ファンには是非一読してみて頂きたい作品である。本作掲載の『日本ユーモア』は国会図書館に所蔵されているので、機会があったら是非。

 以下に選評を引用しておこう。

実生活からにじみ出た好感の持てる作品である。多くの子供を抱えた貧しい教員生活の表裏がよく描かれている。最後の新宿裏での競馬の賭の場面では、手に汗を握らせるようなスリルさえ覚ゆる。
(記 2001/11/10)

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